にしかわよねこ

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  • 愛知大学の歴史は、上海東亜同文書院大学最後の学長、本間喜一氏
を深掘りしていくとわかります。一言で語れない、簡単ではなく、
昭和22年6月22日の日付で、関係者の誰かに送った手紙にその苦悩が知るされている。
本間喜一直筆の履歴書を拝見すると、素晴らしい経歴が記されており、自分一人なら東京で検事をやって食べていけるが・・・
と記され、愛知大学創設のご苦労が神経を病んでいた事が書かれついます。
読みながら涙がでてきます。

又、小岩井学長との友情も記されおります。
越知ご夫妻は、小岩井学長が病に伏した折、市民病院に行き学長の散髪をしたそうです。

小さな娘さんが可愛らしかった〜とお話頂いた。
本間喜一氏と小岩井氏は、考えも性格もまったく違っていたけど
あの友情は本物だった。と、
越知ご夫妻は語ってくれました。
  • 楽しみにしていた講義の日です。
越知まこと宅を訪問しました。
今日は、アルバムにおさめられた記録の数々を拝見し、色々なお話が聞けました。
奥さまとご一緒に行動されており、上海東亜同文書院の訪問の貴重な話も伺いました。
又川西町訪問の話、川西町から送られてくる広報、新聞記事など、本間喜一愛大創設者の関わり、ふれあいが越知まこと氏のお話を伺い貴重な資料にふれ、帰宅しました。
  • 平松礼二画伯の飛鳥Ⅲに展示される絵画の特別展を湯河原美術館でご講演と共に鑑賞致しました。

学芸員の方のご説明もあり、間近に見る事が出来ましたが、ついに
飛鳥Ⅲの就航が始まり、旅行社でパンフレットを頂きました。
あの絵、この絵と思い出されますが、素晴らしいの一言です。
感激です。
  • 愛知大学創成の軌跡を大学創立者
本間喜一氏の歩みと共にたどって参ります。

1901〜
 124年前、中国・上海で始動   
 したグロ−バル教育
  「知を愛し、世界へ」

1946〜
 戦後の困難のなか、新大学  
 「愛知大学」を設立
  「無」の上に「有」
   を築きあげた創成期

歴史をひもときながら、関わった人達の思いを振り返って見ようと
思います。

※画像をクリックでリンク先の動画を見ることが可能です。

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